これまで訪ねなかった風景として、年末の賑やかな商店街の散策を!と考えたのが
今回の企画。・・・と、なれば掛け声の高いのが上野の通称“アメ横”が第一候補。 計画はまずここを訪ね、次いで近い位置にある浅草を流すという案が浮かんだ。丁
度年末恒例の羽子板市が、偶然にもこの計画の12月17日(月)を初日として3日間開
催されるという。・・・と、なれば“仲見世通り”でその羽子板市を流してからすぐ隣の“合羽橋の道具屋街”へ漕ぎ出すのはどうか。世界的にも有名な調理用道具屋街の「合羽橋」。 今回の同行メンバー中に、特別なプロ用の調理用具に興味を持つメンバーがいたので、まさに好都合。この合羽橋道具屋街を入れて浅草の散策とする。
アメ横と羽子板市・合羽橋、これだけ揃えば楽しそうな年末散策が期待出来る。
18年12月の散策計画はこのようにして出来上がった。
注:実際の順路はメトロ浅草駅ー>合羽橋道具屋街ー>仲見世の順
アメ横(商店街)はJR山手線、上野駅~御徒町駅間の高架線の下に発達した商店街
で、食料品や衣類、雑貨店などの沢山の業種の商店が立ち並び、年間を通して買い物
客で混み合っているので有名。今では国際的に名を馳せて東京の観光名所の一つになっている。
上野と聞くと戦後間もなくの頃で、多分かめかめメンバーの大半も小学生時代だったでしょう。当時、世は生活物資不足の時代、上野~御徒町間の山手線ガード周辺に、東北地方の産物を扱ったヤミ市的な街頭販売業者が集まって出来てきた。時の経過とともに今日の様に成長し・・・などと考えながら、カメラ片手のかめよこチーム(9名編成)のアメ横散策編が始まった。
電車の通過音が真上から聞こえるガード下通路、その左右に商品を賑やかに取り揃えた商店が密集するアメ横の姿は他に類がない。期待した季節(正月用)食料品やその他の商品の販売店はこのガード下だけでなく、ガードに並行した側道にもびっしりと広がっていて、どの店からも通るひとを呼び込む声が聞こえていた。この一帯には若者向けの喫茶店・ゲームセンターなどもあって老若男女で賑わっていた。
散策の前には、「年末の市場なので、湯気の出るような混雑風景が見られる・・?」と期待したが、年の瀬とはいえ未だ月半ばの17日、正月景気には幾分早めのタイミングだったためか、買い物客でのゴッタ返しというより東洋系のグループ姿(多分訪日観光客?)が目についた。 |
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あめ横散策後はJR上野駅からメトロ銀座線で浅草に出る。写真はメトロ銀座線に向かう途中の交差点。直進(大きな木野方向)は上野公園、音楽堂、動物園方面・・・交差点の先を右に入るとJR上野駅で、その構内を抜けると銀座線へ下る階段に出る。浅草までは約10分。
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注:この商店街は明治末から大正初期に古道具を扱う店が集まりだし、それが起原となっていた。戦後になって洋食器、調理器具を販売する街として発達したことが街の案内書に出ていた。 |
浅草駅構内から地上に出ると賑やかな伝法 院通り。合羽橋商店街は近く。業務用和洋食調理具や食器類、鍋・釜・箸・ナイフ・フォーク・包丁などを並べた店が勢揃い。
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これらの道具類を見ながらその使われ方を想像(食材そのものや形状・調理方法、はては出来た料理がテーブルに乗る様子など)を勝手に想像しながら歩いたのは、平成最後の年末風景として面白い思い出になった。 |
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このあとは羽子板市が始まった仲見世通りに向かった。当日が市の初日であったため店先で羽子板が入った大小様々な運送箱を開梱し、展示に汗を流してる店員の姿が多く見られた。
更に歩を進め、お線香の香り流れる仲見世通りを奥に進み、五重の塔や福引売り場、さらに立派な浅草寺に、新年の幸運をお祈りして散策。
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“チコちゃん”人形に似た羽子板があり、「なんだろう?」などと見ていたら「ボーっとみてるんじゃねーよ」と何処かで聞いたセリフが頭をかすめ、一人で苦笑い。
さすがに人通りの多い浅草、仲見世通りを横切る際に出会わせたとても大きなフクロウ(正式な鳥の種類は不明)とにかく大きなフクロウを看板にした募金活動の人がいた。グループの一人がいたずら心で側に寄ったら、嫌がらずに仲良しのポーズで受けてくれた。
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参加9名での記念撮影・ワンショット
のども渇いたので「反省会」。
この一年 間の楽しかったことを話したひととき。
素晴らしい年の瀬の交流だった。 反省会 では来し方を振り返り、また、新年度のか めよこ活動に関しては、気分を新たにして 取り組む気概も見え隠れなどあって、賑や かなひとときが流れた。 |
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